○ 初めてお目にかかってから、たぶん20年近くになるでしょうか。
幅広いジャンルの知識がつぎつぎと飛び出す藤田さんのお話は、
いつも本当に面白くて。
私だけでなく、刺激とパワーを受けている若いイラストレーターは
たくさんいると思います。
藤田:
どれだけ好奇心があるかは大事なことかなと思います。
その、一見どうでもいいような雑な知識が結構仕事の役にたったりするし、
それがなくなったらなんか退屈だもの(笑)
○ 本当にそうですね…。そこで、展覧会の告知も含めて、
いろんなお話を伺ってこちらでご紹介してゆくことにいたしました。
まずは10年ぶりの展覧会、どんな内容をお考えでしょうか?
藤田:
表のMAYAは通り沿いで日差しも入って明るいから
絵本「ちいさなまち」の原画などを展示しようかな。
お子さんにも楽しんでもらえるようなカンジで。
一方、MAYA2の方は、この10年の間に描いた装画から選んだもの。
宮部(みゆき)さんとか(スティーヴン)キングのために描いた
装画からセレクトしたもの。
半地下の会場を活かして、ダークで怪しい感じがいいかな、と。
とにかくスペースは小さくても中身が濃く、密度のある展示に
出来たらと思います。
○キングといえば、ちょうど展覧会の頃に新刊がでるとか。
藤田:
『アンダー・ザ・ドーム』ね。
文藝春秋で、翻訳は白石朗さん。
上下刊で 1,360ページ…
ボリュームたっぷりのゲラ読みましたよ。(笑)
○ 藤田さんといえば、数々のキングの装画のイメージが強いのですが
一番最初に手がけたキングの装画は?
藤田:
『ペット・セマタリー』、1989年ですね。
その次の年90年代に入った直後からキングの『ミザリー』、

「ミザリー」
チャンドラーの遺作の『プードル・スプリングス物語』の装画、
あと筋肉少女帯のライブビデオのジャケットとか、
その辺がね、ひと月くらいの間に一気に全部まとめて依頼がきて。
バブルが崩壊してからなんか急に忙しくなった(笑)
○ ああ、筋肉少女帯、サーカスの絵でしたね。インパクトありました。
それ以前の「バブル」時代はどんな感じでいらしたのでしょう。
藤田:
ううん「バブル」って言葉が叫ばれる前から、
なんか、「あぶく銭」ってことには薄々気が付いていたんだけど…
「衆人、皆酔いて 我、独り醒めたり」って漢文があるけど
そんなカンジでシラッとしてた。
○その頃から本のお仕事は多かったのでしょうか。
藤田:
80年代は世の中がダンスしているような時代だったでしょう、
だから、僕の絵は暗い絵ってことで嫌われてたと思う。
内向的で、渋い色使ってていうのはあの時代にあってなかった。
でも90年代になって急にモードが変わったような気がしましたね。
『ツインピークス』みたいなヤバいドラマが爆発的に流行ったりとか。
○ あの頃、D・リンチ話ではよく盛り上がりましたねえ!
藤田:
うん。そんな感じで時代と共に仕事のペースが変わりましたね。
バブル崩壊と共に華やかな広告の仕事は減りましたからね…。
○その頃からずっと、今も引き続き忙しくお仕事をされているのは
地道にエディトリアル中心の仕事をされてきたイラストレーターが
多いようですね。
藤田:
そうね、時代の変化と共にやって行くしかないんです。
時代に不釣り合いな夢は見ずに。(笑)
「アート アンド エコノミー」って、
ずっと言い続けているんですよ。
芸術と経済の関係性なんですけど。
だって、ルネサンスとかの大昔から、何かの産業が繁栄して
クライアントありきで絵とか音楽の仕事が依頼されたわけでしょう?
○確かにその通りですね…。
では、次回はそのあたりのことをお伺いしようと思います。
—— つづく