東逸子展 "The Sonnets"
「シェイクスピア--ソネット集」によせて

2006年3月27日(月)〜4月8日(土)





劇作家として知られるシェイクスピアの作品は、舞台はもちろん、後の文学への引用、また多くの映画化もなされてきました。しかし、そのあまりにも有名な作品群とは裏腹にシェイクスピア自身についてはほとんど謎に包まれています。
この『ソネット集』(14行詩)の詩編の数々は、演劇の為の創作とは違い、本人の告白としての形で綴られ、1609年にはすでに『SHAKEAPEARES SONNETS』として出版されていました。

彼は正体をはっきりとは明かさない二人の人物への愛情を謳いますが、最初は「青年」を賛美しつつ「勧婚歌 」といわれる詩によってしきりに結婚を勧めます。一方では愛人であろう「黒い貴婦人(ダークレディ)」への黒の美を謳いますが、やがて彼女との間には亀裂が入り、彼女への思いは憎しみにさえ変わっていきます。そのうちに、あろうことか大切にしていた青年がダークレディに誘惑され、掻き乱された心にさらに追い討ちをかけけるような「ライバルの詩人」の登場によって、シェイクスピアの心の傷はますます深くなっていきます。
そのような中にも僅かに残された美しい者への想いが幾度か呼び覚まされる時、詩作によってその魂は癒され、美しいソネットとなって奏でられていき、遂に到達したある境地ともうかがえる詩が綴られます。

・・・・・
愛はうつろいやすい時とともに変わったりしない。
最後の審判までどんな苦難も耐えぬくのだ。
これがまちがいであり、証明されうるというなら
私は詩をかいたことも、ひとを愛したこともなかったことになる。 (訳/戸所広之)





ドラマのような人間関係の波に呑まれ、泥沼化していく中にありながら、創作者としての魂がいつも自浄作用を促し、自身の心の有り様そのものが美しい言葉の糧となってゆくシェイクスピアの力にただただ圧倒されます。
ネット配信により原語で謳いあげられる言葉の響きを耳にしながら、韻を踏み、音楽のようなリズムを持ったこの詩編をずっと感覚で味わっておりました。英語が堪能で当時の言語が充分に理解できたなら、おそらくこの詩編の素晴らしさはさらに広がりを持ち、味わい深いものとなったでしょう。

下手な謎解きというより謎そのものを楽しみながら、さまざまなビジョンが想起させられるに任せて銅板に刻んでみると、もしかすると「告白」であるはずの『ソネット集』自体が、我々に巧みに仕掛けられた彼特有のトリックなのかもしれないという説もまた素敵に思えてきました。

最大の謎はシェイクスピア、その人自身なのでしょう。
「白い罪」と「黒い誘惑」の物語はまるで舞台での出来事のように、今だ謎めいて私を惹き付けています。

「シェイクスピア ソネット集」によせて----東 逸子




■おもな参考文献&サイト
「シェイクスピア詩集 ソネットとソング」中西信太郎/訳(英宝社)
「ソネット集」高松雄一/訳(岩波文庫)
「シェイクスピア詩集」柴田稔彦/訳(岩波文庫)
「シェイクスピア戸所研究室」
http://www.geocities.jp/todok_tosen

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