市川智子展「バスルームで夢をみる」

'05.03.28(月)〜 04.02(土)

ジャン=フィリップ・トゥーサンの小説『浴室』から想を得て、バスタブの中で生活しはじめてしまった<ぼく>とそのまわりの世界が描かれた今回の個展。
ここで描かれるバスタブの中の生活とは「思考の中に閉じこもるということ」のメタファーです。
けれども現実には<ぼく>の思考を邪魔するひとたちが次々と現れます。それぞれの視線は違う方向へと向けられていてお互いに見つめあうことは決してなく、其処ではむしろ不和のほうがよく起こるのです。
「…ついには、かの女のほっぺたにダーツの矢が刺さる。痛い! そう、誰かと誰かが出会うとき、そんなことがよく起る。でも、そういったズレをも慈しみ、何かを起こすことへのちょっとした冒険を描きたかった。」と市川さんはおっしゃっていました。





ぼくときみ、それを結びあわせる3つめの・・・
(人生の喜びと三角形について)

きみは三角形がすき?
いや、すきもきらいも小学校で習って以来、
とんとお目にかかっていないかな。
じゃ、こう聞いてみよう。
きみは三角関係がすき?
なにやら怪しげな空気が流れたね。
三角関係なんていうといかにも不倫めいたにおいがして、ぼくは苦手さ。

ただし。こういうことはいえる。たとえば、何千年もの長きにわたって、ひとびとが
読み継いできた三角関係の偉大な物語にキリスト教のバイブルがある。

ある男が、ある日かれの主君から、国を治めるために<キリスト教>の信者になるこ とを強制される。宗教伝播の第一歩はべつに神秘的でもなんでもない。きわめて政治 的だ。しかし、<キリスト教>徒になったある男は、かれの妻も<キリスト教>徒に したい。つまり、共有したい。しかし、妻のほうは、そんな得体のしれない、他所か ら来たよそよそしいものに馴染もうとしない。
ふたりの間に不和が生まれる。不信。悲しみのあまり、妻は目が見えなくなる。男は なにもすることができない。別れを決意する。しかし、ぎりぎりのところで、妻は< イエスの教え>を信じてみることにする。にょきにょきと発生した不穏な雨雲と嵐の 間に、突如、光がさし込む。妻の目が見えるようになったのだ。そう、目が見えるよ うになったこと自体に奇跡があるのではない。夫と同じ方向を向いてみるという、妻 の行動の機転が奇跡的なんだ。

キリスト教のバイブル。きみとぼくの間にひき起こされる奇跡。ちょっと古びたこの 書物は、人生をドラマチックにする秘訣となって機能してきたのさ。

さて、これは宗教の話ではない。<  >のところに、<近代>なんていう言葉をい れても同じさ。もっと、やさしく言おう。たとえば、<夢>という言葉をいれてみよ うか。

ぼくは夢をみる。きみにも同じ夢をみてもらいたい。しかし、きみは理解していない・ ・・。

ほらね、同じことが起きるでしょ。

ぼくは、この、ふたりで同じ方向を、もやもやふわふわしたものを見ているという状 態が、たまらなく好きだ。ふたりが3人、4人、となったらなおさら。

ああ、きみが読んでいる、このうすっぺらい紙っ切れだって、そんなものさ。ぼくと きみ、それを結びあわせる3つめの・・・

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